珠洲神社について

日本の北方を守る霊地・須須神社

 須須神社(現:珠洲市三崎町寺家地内)は、能登半島の最先端、日本海に突き出た社叢「高座山(たかくらさん)」に鎮座する由緒ある神社です。古くから特別な力が宿る場所と考えられ、日本の北方を守る神社として、地域の人々や海に関わる人々から篤く信仰されてきました。
社伝によると、神話の時代における「豊葦原中国(とよあしはらなかつくに)(=この地上の世界)」の守護神として、東方は鹿島明神、南方は熊野権現、西方は出雲大社、北方は三崎権現(当社)と記載されています。

創建と遷座 ― 古代から続く歴史

 須須神社の創建は、第十代・崇神天皇(約2千年前)の時代と伝えられています。はじめは能登半島最北端にある山伏山の山頂に祀られていましたが、奈良時代の天平勝宝年間に、現在の場所へ鎮座されました。平安時代には国の公式記録(延喜式や日本三代実録)にも登場し、朝廷から神社としての格式を認められた、非常に歴史の古い神社です。

歴史に名を残す格式ある神社

 中世には多くの神職や僧侶が仕え、広い社領を持つ大きな神社として栄えました。江戸時代になると、加賀藩主・前田利家公が須須神社を祈願所と定め、社領を寄進するなど、藩からも手厚く守られてきました。
 このように須須神社は、時代を超えて人々の信仰を集めてきた神社です。

航海安全と災難除けの神さま

 須須神社は「須須大明神」「珠洲三崎権現」とも呼ばれ、航海安全や災難除けの神さまとして広く知られています。日本海を行き交う船の無事を祈る神社として、多くの人々の命と暮らしを支えてきました。
 元禄十年(1697年)、奥宮の中腹に「大燈明堂」が設けられ、夜ごと灯りがともされました。この灯りは、暗い海を進む船の道しるべとなり、人々の安全を守りました。この信仰の灯りは、明治時代に現在の禄剛崎灯台へと受け継がれています。

お祀りされている神さまたち

 須須神社には、日本の国づくりを進め始めた祖神天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)をはじめ、危険を知らせ人々を守る美穂須須見命(みほすすみのみこと)、生命の成長や繁栄、良縁を司る木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)をお祀りしています。
 ご夫婦の神さまをお祀りしていることから、「縁結び」はもちろん、恋愛だけでなく、人と人、仕事や人生の良いご縁を結ぶことも意味し、「始まり」の神さまと云われております。

原生林に包まれた神聖な境内(原生林からのパワースポット)

 須須神社の境内には、古くから大切に守られてきた原生林が広がっています。暖流と寒流が交ざりあう半島の特性からスダジイやタブノキなどの照葉樹を中心に、約250種類もの植物が自生し、国の天然記念物※1に指定されています。静かで厳かな森は、訪れる人の心を穏やかにしてくれます。

文化財の数々

 須須神社の奥深くに鎮座する、五体の木造男神像※2。衣冠束帯をまとった神々の真剣な眼差しは、参拝者の迷いを断ち切り、進むべき道を照らします。ヒノキのぬくもりと力強い彫刻が、訪れる人の心に安心を与えてくれます。
 石川県の中で、もっとも古い時代に書かれた「役所からの手紙」承安5年(1175)で平安時代や戦国時代の巻物が40通以上もあり、昔の神主さんやお坊さん、武士たちの活動がわかります。能登の先端にあるこの場所が、昔からどれほど重要だったかを教えてくれる宝物です。
 

義経・弁慶伝説、神様の奇跡が詰まった須須神社 

 源平の戦い(1180年~1185年)で敵同士だった源義経と平時忠。戦いの後、二人はここ珠洲で再会します。逃げる身の義経を、珠洲に流されていた時忠がかくまったと伝わっております。能登の最先端で大嵐にあった義経一行。祈りが届いて波が静まったとき、二人は迷わず大切なお宝「蝉折れの笛」と「弁慶の守り刀」を須須神社に奉納したと云われています。

※1 国指定:天然記念物 「須須神社社叢」昭和50年6月26日指定
※2 文化財(国指定:重要文化財「木造男神像」)昭和25年8月29日指定
※3 文化財(県指定文化財「須須神社文書」) 昭和57年1月12日指定